歴史で権力者が書物を統制したという話がでてくるであろう。現代にそれはないか。似たようなことならあるであろう。
まず、昔の歴史資料で残っているものを誰でも見ることができるかという問題がある。その時点で何でも自由に見ることができて判断できるということから外れる。
次に、インターネットがあるので完全に世の中からなくすことができなくても、例えば学校で何とか時代に何々という優れた文学作品があるという授業、とりあげられている作品が本当に他にもたくさん作品がある中でそれが特別にとりあげるほど優れているかどうか教えている方もそれを判断して教えている人なんてどれだけいるのか疑問であるが、そういうふうに教えるということになっているのであろう、これなんて、書物の統制に近い話になるであろう。学校とかマスコミとかを使ってこの書物が特別にとりあげるほど優れているということにして、価値を統制することにより書物統制に近いことがされるわけである。
賞だって、そんなの選考者決めたものを優れていると価値を統制して、この書物が特別にとりあげるほど優れているということにしていることになるであろう。私が選ぶ経済書賞でも私が選ぶ文学賞でも自分で作って、選考基準を自分で作り、自分で選んで結果を家の壁にはっておけば、どこかの誰かが選んだものとは別のものになるかもしれない。
書物統制に従った思考をすると、誰かの価値観に自分が支配されることになるであろう。
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