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日本世界研究ブログ (今世紀をダッシュ)

様々な内容。医療、ニュースに関連して、歴史、芸術、自然災害、経済など。  このサイトはリンクフリーです。 ブログ名を「ダッシュ ー世界を分析するー」から変更しました。

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学校などで自分が上昇するのを邪魔する人

学校などで、自分が何かを目指しているとか勉強でもスポーツでも芸術でも何でも構わないから上手でさらに実力を向上させようとしていると、その内容自体に否定的なことを言ったりして、頑張らないように仕向けるコメントをしてくる人がいるかもしれない。あるいは、自分と競争になっていて、自分に努力や練習をする気をなくさせたり努力や練習をしないように仕向けるコメントをしてくる人がいるかもしれない。そういう人は、自分のよほど勝つ自信がなかったり、自分に自信のあることがなかったり、自分の生き方に自信がないのかもしれない。

 こういう人は、自分の邪魔をしてくるわけで敵だ。こういう人やそれからいじめ・嫌がらせをしてくる人、そういう人は敵だ。なるべく関わるべきではないだろう。自分の邪魔をするのだから、なるべく関わらない方が良いだろう。
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誰がとても大切な人か

自分にとってとても大切な人、とても大切な人ととてもをつけておく、そういう人は、自分でよく考えるべきだろう。

 単に学校とか就職したところで会った人が自動的にとても大切な人になるなんてことはないだろう。嫌がらせをしてくる人は論外として、普通に接しているそんなレベルや、単に同じ学校のクラスや仕事で同じチームになったとかでなく、たまたま教員が割り当てられたとか教員を選択したのでもどんな人か実際始まってみないと分からないだろうしそんなレベルやたまたま割り当てられた仕事の上司のようなレベルの話ではない。

 仲が悪くなくても、とても大切な人ととてもをつけてというレベルになると、そういう人が誰かということになる。単に付き合いでという人ではないだろう。とても大切な人、これはよく考えるべきだろう。

自分の価値観を持たなければ他人の思考・価値観に支配される

人は生まれてから周囲の人の影響を受けその価値観・考え方を身につける。

 例えば、世界には様々な楽器があるだろう。しかし、日本で学校教育で扱われる楽器は全てを平等ではなく偏っているであろう。これだって、音楽の世界をある種のものに影響させるだろう。仮に楽器演奏は悪魔を引き寄せると信じている民族がいたとしたら、その民族では楽器演奏はなされないかもしれない。すると、他の民族では楽器演奏がすばらしく、コンクールがあり賞が与えられたり職業として成り立っていても、全く音楽に価値があるとは考えられず、不吉なものとみなされる民族もあるかもしれないことになる。

 このように、自分が正しい、優れていると思っているものは、生まれてから周囲の影響を受けて身につけたもので、何が本当の意味で正しい基準なのかということは難しい。
 自分ではよく分からないけれども、ある分野で何とか賞が与えられたから優れていると思ったり、何かの役職についているからよく分からないけれども優れた人と思ったり、よく分からないけれど権威があるとされていてだから優れているとみなしている場合もあるのではなかろうか。

 今持っている自分の価値観・思考を問い直し、見つめ、そして価値観・思考の再構築をしなければ、誰かが作った求められる価値観・思考に飲み込まれ、コントロールされた存在になってしまうかもしれない。

 また、異文化民族・集団が共存する社会では、互いに反したり大きく異なる価値観・習慣が生じる可能性があるだろうことも付け加えておく。

レールを進むか道を作るか

レールにのって進む人生それは一つの人生だろう。学校に行き、学校が定めたことをやって進んでいき、そして、どこかへ就職し、そこで定められたことをやっていく人生。誰かが作った枠に従って進む人生、それはそれで一つの人生だと思う。

 一方、自分で道を作る人生、それも一つの人生だろう。起業して、誰かが作った枠内でそれに従って進むのではなく、自分で作っていく人生。

 どっちが自分にふさわしいか、それは人それぞれだろう。

 学校にまず行くと、教員は従業員である。従って、従業員としてやっていく考え方の人が登場してくる可能性が高いという現実はあるであろう。

 どんな人生を送るか、それは人それぞれだろう。お幸せに。

大学などの学校にだまされるな

学校のパンフレットやホームページは自分で作るなりそれをする会社に協力してもらえば見栄えがよいものがおそらくできるであろう。しかし、それを見て入学したらあなたの人生は幸せになるだろうか。学校屋といっても、他の店屋と同じく店屋だ。行政または行政みたいなものからある学校に金がでていたとしても、他の店屋だって行政または行政みたいなものから金がでている場合がある。

 学校に行くと、金を払い、収入を得る時間を失う。奨学金という実質的借金をした場合返済する必要がでてくる。返すのがきつくないか?、本当に返せるのか?

 自衛隊の任務が危険な方向に向かっている雰囲気だが、金がなくて自衛隊に入るという社会構造もあるのではなかろうか。あなたはどんな人生を選ぶ。

 その学校に行った結果自分の目的は果たせるのか。卒業後どうなっているか、今後のことはわからないにしても、過去の実績、一番都合のよい例だけでなく、中退とかも含めて全体像をよく見るべきであろう。

 お客さんいらっしゃい、商品・サービス内容は提供しました、そもそもその商品・サービスを買うべきだったかどうか、それはお客様の判断です、お客さんが欲しかったから買ったのでしょ、借金してでも金を払ってくれたら店はそれでいいですよ、借金返済はお客様の責任で店は関係ないです、これって他の店屋と変わらなくないだろうか。あなたが見ているその学校という商品、買うに値するだろうか。

 大学院なんか金がある人の遊び、そう思った方が良いかもしれない。そこをでた場合に仕事がよほどあるという場合は別にして、それでも金を払って収入を得る時間を失うということはある。

 学校にだますつもりがあるかないかはおいておいても、素晴らしいものと思って勝手にだまされないようにするべきであろう。学校従業員はこの商品買ったら不幸になるだろうと分かっていて学校という商品を売っているかもしれないし、気付かず素晴らしいものと思い込んで売っているかもしれない。自分の身は自分で守ろう。

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