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日本世界研究ブログ (今世紀をダッシュ)

様々な内容。医療、ニュースに関連して、歴史、芸術、自然災害、経済など。  このサイトはリンクフリーです。 ブログ名を「ダッシュ ー世界を分析するー」から変更しました。

災害の義援金はどうすべきか

災害が起きた時義援金をだす人もいるであろう。

 しかし、これって集めるのに手間がかかり、どうやって分配するのかという問題がある。当然分配する人にはそれだけのお金をみんなから集めたものであるとはいえ、扱っているという力があることになる。

 災害の支援なんて奉仕者の公務員がいる行政がすべきものである。必要な支援は行政がすれば良い。しかし、そうなっていないのなら、というか国民がそうさせるべきだが、そうなっていないのであれば自分達でということで私財を一部使っての支援をする人がいるということになるのではなかろうか。

 だったら、義援金なんてもので委託せずに、自分で被災地でとか被災地から避難してきた人で、金持ちでない人に配ればよい話である。それの方が早く渡すことができるという面もあるであろう。一人でするのでなかったら、何人かでグループを作ってでもよい。少なくとも、行政とかそれの影響を受ける団体やそういう類のグループが関わることになるような所には義援金を出さず、本当に自分達で支援したと言える所へお金を出すべきではなかろうか。(税金などの制度には気をつける必要があるであろう。)

 少なくとも、、本来税金を使って行うべき支援を国民が行い、その支援に行政とかそれの影響を受ける団体やそういう類のグループが影響力を及ぼすなんてことであれば、それは第二の税金であり、国民が公務員への奉仕者へと自ら進んで奴隷化することにつながる発想なのではなかろうか。

 だいたい、奨学金という名のついた教育ローンを借りている大学生に義援金を払うよう求める方がおかしい。
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態度に気をつけた方が良いのでは

態度には気をつけた方が良いのではなかろうか。

 例えば、自分は何か良くできることがあるから、特別コースで教えてもらえるとか割引を受けているとか。これって、他の人が払ったお金で受けているとか、特別に同じ価格で受けているとかいうことになるのではなかろうか。
 私は能力のあるすごい人だ、お前ら無能が払った金でラッキー、ハッハッハ、というような態度でバカにしたようにやっているとしよう。すると、腹を立てた人に良い悪いはおいておいて刺し殺されたりするかもしれない。また、政治家でも、これはささいなことと思われることで(もちろんそれでも違法行為でもしあるなら問題だが)問題にとりあげられる場合もあるであろうが、似たように、問題にしてやれとなってたたきつぶしにかかられるかもしれない。
 本当の金持ちは、盗まれたりややこしいことに巻き込まれたくないので、金持ちであることを隠すかもしれない。

 いじめとか嫌がらせでも、すぐに抗議する人もいれば、じっと耐えていてある時良い悪いはおいておいて刺し殺したりするかもしれないし、刑事告発や民事訴訟などの手段にいきなりでてくるかもしれない。

 やはり、態度には気をつけた方が良いのではなかろうか。

医療批判

医療に関してこれはやらない方が良いのではないかという意見を述べる人がいるであろう。

 みんなが各自にとって良いような選択ができると良いというのはそうである。

 しかし、医療に関して様々な意見を聞いている人は、この医療は良い、悪いという意見があった時、自分が気に入らない意見を述べている人がいたとしても、他人のことに関しては、結局他人である人のそれぞれがどうするかの問題で、ある医療を受けて良い結果になれ受けない方が良かったとなったのであれ、医療を受けなくて良い結果になれ受けた方が良かったとなったのであれ、直接自分の健康の問題ではない。他人がその人の健康をどうするかの問題を、自分がどうこうできるのかという問題がある。

 だったら、医療に関して自分の気に入らない意見を言っている人がいても、この医療は良い、悪いのどちらであれ、ほっとけばよいのではなかろうか。

 自分の健康も他人の健康も、本人が結局どうするかの問題である。

 何かテーマで集会をしている人がいる時のように、その方向性に賛成の人も反対の人もいうるわけである。自分はただ聞いているだけの人のつもりなら、自分の健康も他人の健康も、本人がどうするかということになるしかなく、気に入らない意見で講演している人に腹を立ててもどうにもならないことではなかろうか。

東大生5人を強制わいせつで逮捕

東大生5人が強制わいせつで逮捕されたようだ。実際のところ何があったかあるいはなかったかは分からない。

 ここで、勉強ができてもこれではだめだ、という意見の人もいるかもしれない。では、4つのパターンを考えよう。
勉強ができて強制わいせつをしない人、
勉強ができて強制わいせつをする人、
勉強ができなくて強制わいせつをしない人、
勉強ができなくて強制わいせつをする人、
以上4パターン。

さて、
勉強ができてもできなくても、強制わいせつをする人は問題である、
強制わいせつをしようがしまいが、勉強ができることは一つの特技である、
勉強ができても強制わいせつをする人が問題なら、では勉強ができなくて強制わいせつをする人は問題ではないのかという疑問がある、「勉強ができても」という点を強調するのは勉強ができる人への単なる嫌がらせではないかという疑問がある、
一般論で勉強ができるのが悪いのなら、勉強ができるの意味を高校から大学へ進学の際の大学入試ができたという意味とするなら(東大生5人逮捕の5人がどんな形で入学したか知りません)、高校の勉強なんてしなくて良いことになり、高校の受験教科の授業は全て取りやめるべきということになるかもしれない、もっと言えば、高校を廃止すべきということになるかもしれない、
このような考察ができる。

 さて、勉強ができてもというのをスポーツや芸術に置き換えることもできるであろう。


 別の観点から。
 東京大学はどうするのだろうか。退学処分にするのだろうか。
 一般論で、大学なんてただのビジネスかもしれない。大学も、その従業員も、学生がどうなろうが、奨学金という教育ローン借り、将来仮に借金苦で自殺しても知ったことではないのかもしれない。やめずに借金してでも客になってくれ、社会問題を起こした学生は退学処分にして大学はきちんとしていると取り繕う、自らの社会問題を起こさないように教育するという指導力のなさは大きくは問題にならずにすむかもしれない、そのくせその学校外のことまで話題で介入する無責任評論家教員、学生は客として丁寧に扱われず教員の自己満足の道具で金を払わせて契約が切れたら後(卒業またはやめた後)は知らない都合が悪いと処分し退学処分もある、ということかもしれない。

 なので東京大学が本件に対してどんな対応をとっても、大学のために従業員のために対応しているだけで、実際に強制わいせつがあろうがなかろうが、加害者にも被害者にもどちらのためにも対応しているとは思わないし、加害者や被害者のために活動しているように見えても、我々大学は大学従業員は良い所だ良い人だという宣伝と思っておきます。
 東京大学や東京大学従業員(経営者も含む)が実際今書いたようなものではないのかもしれないしあたっているのかもしれない。それは分からない。しかし、大学や大学従業員というものがそういうものだと思える世の中だということである。
 

名前に気をつけよう

名前からすばらしいくないことでもすばらしいと思うよう誘導されたり、ある内容を意識させないように誘導されないように注意したいものだ。

 グリーン車、指定席、自由席ーこれって一等車、二等車、三等車、の言い換えつまり金がない者は悪い席へ、金がある者は良い席へと言い換えでなかろうか。

 奨学金ーこれはもう、返済が必要な場合は教育ローンとはっきり言うべきだし、返済不要の場合はプレゼントとはっきりというべきであろう。

 病院ー何か良いイメージを持っている人もいるかもしれないが、医療が原因で問題が起きたりしていて、殺人工場かもしれない。

 大学ー奨学金という教育ローンで人生を破壊する原因かもしれない。

 何とか賞ー陸上100mとか水泳100mとかフライングかどうかの判断は置いといて、こういう明確な数値ででてくるものでなかったら、各自の感性を否定し、思考の統制道具かもしれない。


 名前にごまかされず、実態をよく考えるべきであろう。

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