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日本世界研究ブログ (今世紀をダッシュ)

様々な内容。医療、ニュースに関連して、歴史、芸術、自然災害、経済など。  このサイトはリンクフリーです。 ブログ名を「ダッシュ ー世界を分析するー」から変更しました。

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教養を身につけるには、世の中を知るには

教養を身につける、社会を知るには、ブログランキングサイト(にほんブログ村とか人気ブログランキングなど)の項目ごとのブログをなるべくたくさん、自分の好きなものだけでなく様々なものを、様々なテーマや意見、角度からのものを見るというのは一つの方法であろう。

 もちろん、インターネットに書かれている内容が正しいかどうかという判断は、インターネットに関して一般論で必要であろう。しかし、様々な人が自分の表現できるものを表現していて、それが自分の経験からきている場合はあるであろう。その人が何を経験したか、何を考えたか、なぜそう考えたか、そういうことを知ったり考えたりすることは、新たなことに気づくことにつながり得るであろう。

 考え方が違う人がなぜそう考えるのか、自分とは違う常識の人がなぜそれが常識なのか、そういうことを知る手がかりになるかもしれない。インターネットにより、異なる人を理解しやすい環境が整ったと言えるかもしれない。
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生命の危険ーテロ、自然災害、通り魔、車、ミサイル

生命が危険になる可能性があるもの、テロ、自然災害、通り魔、車、ミサイルのようなものがある。

 テロは起きるとニュースで大きくとりあげられるかもしれない。北朝鮮のミサイルも大きくとりあげられるかもしれない。しかし、危険はそれだけではない。通り魔に自分が出会うかもしれない。自然災害だってある。そして、道を歩いていたら、車にひかれるかもしれない。どれに当たる可能性がどれだけあるかという問題がある。

 テロ、自然災害、通り魔、車、ミサイル、どれでも死んだらおしまいだ。様々な危険のうち、あるものだけを危険だと言っていればよいのではなく、様々な危険があるということである。

国民生活

今の日本、必要なものはたくさんある。食べ物、捨てているだろう。家、住む人がいなくて余っているところがあるであろう。服、シーズンの終わりに売りつくしセールをしている。

 お金で見るのではなく、物自体やサービス自体があるかどうかで考えてみよう。そうすると、必要以上のものやサービスが存在する。さらに、広告ってこんなにたくさん必要かという問題もあるであろう。ジャガイモを作ったらそれを食べる人がいても、広告ってそれ自体が必要なのではなく、広告の先の商品やサービスがあって初めて役に立つものである。いらないものを売りにくるセールスとか、必要ないだろう。

 ということは、必要以上に物やサービスがあり、不要な仕事をしているということになる。

 お金っていうけれだ、経済的に苦しいというけれど、物やサービスは必要以上に日本社会に存在し、不要な仕事をしている。要するに、物やサービスを買うのに使う金の分配が行き届いていない人がいるということである。畑にとれた農作物を捨てている農家、捨てている農作物をちょっとぐらい分けてくれるかもしれない、そういうレベルの物やサービスが存在する社会ではなかろうか。

 経済的に苦しいこういう社会にする政治家を選んだのは国民である。

インターネットの怖さ

インターネットは恐ろしいものだ、犯罪を犯した人にとって。年齢に関係なく誰かが犯罪を犯した人をインターネット上に公表すると、インターネットにのせる方の行動がよいか悪いかの議論はおいておいて、また、仮にでたらめを発表した場合でも、インターネット上に残り、誰かが後々見ることができる可能性がある。検索で見やすい位置にでてきたりすると、将来にわたって簡単に見ることができることになる。

 注目を浴びるほど、ある人が肯定的評価も否定的評価も両方をインターネット上で多く受ける傾向があるのかもしれない。また、小さなことでもとりあげて肯定的あるいは否定的評価がなされるかもしれない。でたらめの情報も発表されるかもしれない。でたらめの情報は問題だとしても、事実に基づくインターネット上での発表は良い悪いの議論はおいておいて、政治家のような注目を浴びている人が受ける場合、応援者や批判者などさまざまな人から色々な意見があるかもしれない。

 しかし、この犯罪はこの人を政治的理由で陥れてやれとかそういう種類のものではなく、問題だということをこの人がしたという情報がインターネット上にでて長年残ると、これはその人にとって恐ろしいことだろう。法律にはない事実上の処罰が良い悪いはおいておいて、世の中にはあることになる。

どんな家が魅力的か

誰々の家にはあれがあっていいなあ、欲しいなあと思う人もいるかもしれない。

 では、物がない家、あっても机と椅子とか必要最低限で、ほとんど物がない家、こんなのはどうであろうか。物置にも不要なものがない。使う必要なものだけがある家。それはそれで魅力的ではないだろうか。

 実際問題全く余分にものがないとか、食べ物でも万一の時のために少しは買い物無しでもやっていける状態でないと不安かもしれない。普段使わないけどあれは物置に置いておいて必要があれば使う、そいうものもあるかもしれない。だから、今はいらないけど置いておくものもあるかもしれない。

 また、机や椅子でもものでも、自分が気に入ったもので、スーパーで安く買えるものの寄せ集めでなく、お土産店にあるようなものとかそういうものが置いてある家にしたい、そういう希望もあるかもしれない。

 自分がどんな家、部屋にしていきたいかだろう。

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