裁判所の判決が全てではない。確かに刑事裁判で判決が確定すれば、その判決に従って物事が行われるであろう。しかし、例えば、裁判所が無実だということにたどりつけず有罪にしている可能性もある。また、刑事裁判や民事訴訟でどのような判決になろうが、ある人がその裁判で取り扱っていた内容について何が真実であると心の中で思うかは、判決の通り心の中で思うとは限らないであろう。裁判で損害賠償請求に対してある会社側が勝ったからといって、その会社は悪いと思うから買わないという人もいるかもしれないし、判決がどうであれある人がその会社の商品を買うか買わないかは自由である場合には基本的に自由であろう。
裁判所といっても、支配者側・権力者側のものであろう。裁判所の判決には力があるであろう。そして、裁判所の判決が社会における有力なものの一つになるであろう。
歴史だって学校が教えるものは支配者側・権力者側のものかもしれない。
しかし、裁判所の判決にしろ歴史にしろ、支配者側・権力者側のものが社会で影響力を持ちうるわけであろう。
ただ、裁判所の判決が全てではないという部分があるであろう。歴史だって学校が教えるものとは別の歴史を述べることができうるであろう。
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