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日本世界研究ブログ (今世紀をダッシュ)

様々な内容。医療、ニュースに関連して、歴史、芸術、自然災害、経済など。  このサイトはリンクフリーです。 ブログ名を「ダッシュ ー世界を分析するー」から変更しました。

人はどうやってできたか、進化論、神

人がどうやってできたかということに関して日本では進化論が教えられている。しかし、進化論を認めない人がいてある時代のある場所では進化論を学校では教えないという場合もあったであろう。

 進化論なのか神が人間をつくったのかあるいはその他なのか。日本では神がつくったなんてことはなく、進化が当たり前だと思う人もいるかもしれないが、進化論を信じている人も神がつくったと思っている人も、違うのかもしれないがそれを今まで習ってそう信じているのではなかろうか。

 歴史のような内容は、何が真実かというのは難しいのではなかろうか。鎌倉時代がどんな時代か正確に分かる人なんかいるのであろうか。歴史で教えられていることをそう思っているということではなかろうか。宇宙なんかどうなっているのか、どうでもいいことだし、たいてい習った通りにそうなのかと思っている程度のことではなかろうか。

 日本では進化論が教えられているが、試験でどう答えると点がとれるかはともかく、進化論が正しいに決まっているなんてことは分からないのではなかろうか。

 著者は上述の文章で進化論なのか神が人間をつくったのかどっちかを応援しているわけではありませんが、ある意見の集団では当然のことを言っていて優等生でも、その人が別の意見の集団に行くと極めて変な人だということになったりしうるのではなかろうか。
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良いことを言う人にだまされないように

良いことを言われてだまされないように注意したいものだ。

 優等生的なこと、立派なこと、常識から考えて良いことを言われた時、その人は裏で悪いことをしていたり、実は悪い内容なのに良いように言っていたり、出世のために良い人に見せるために良いことを言っていたり、そういう場合かもしれないということである。

 店屋があなたのためを思ってといっても、本当にあなたのためなのか、売り上げを増やすためなのか、本当にあなたのためを思ってなら、良いこと悪いことを全て説明して質問に誠実に答え買う買わないを選んでもらえばよく、本当にあなたのためを思って言っているのかどうかということがある。

 アットホームな組織・団体といってもどんなのをアットホームといっているか、グローバルといってもどんなのをグローバルといっているか、すばらしいとか分かりやすいといってもどんなのをいっているのか、そういう問題があり、ではアットホームでないとか世界を無視したとかくだらないとか分かりにくいというように自分たちのことや商品をいうことがあるのかどうかという問題がある。

 何をもって良いなら良いと言っているのか実際の内容をよく調べないと、良いとかアットホームとかあなたのためを思ってとか、感性でそう言えるようなことではなく事実を見るべきであろう。

 何かに名前をつけるときでも、名前からイメージしたこととは逆のことが実態でないかどうかについても考えるべきであろう。

大学などの学校にだまされるな

学校のパンフレットやホームページは自分で作るなりそれをする会社に協力してもらえば見栄えがよいものがおそらくできるであろう。しかし、それを見て入学したらあなたの人生は幸せになるだろうか。学校屋といっても、他の店屋と同じく店屋だ。行政または行政みたいなものからある学校に金がでていたとしても、他の店屋だって行政または行政みたいなものから金がでている場合がある。

 学校に行くと、金を払い、収入を得る時間を失う。奨学金という実質的借金をした場合返済する必要がでてくる。返すのがきつくないか?、本当に返せるのか?

 自衛隊の任務が危険な方向に向かっている雰囲気だが、金がなくて自衛隊に入るという社会構造もあるのではなかろうか。あなたはどんな人生を選ぶ。

 その学校に行った結果自分の目的は果たせるのか。卒業後どうなっているか、今後のことはわからないにしても、過去の実績、一番都合のよい例だけでなく、中退とかも含めて全体像をよく見るべきであろう。

 お客さんいらっしゃい、商品・サービス内容は提供しました、そもそもその商品・サービスを買うべきだったかどうか、それはお客様の判断です、お客さんが欲しかったから買ったのでしょ、借金してでも金を払ってくれたら店はそれでいいですよ、借金返済はお客様の責任で店は関係ないです、これって他の店屋と変わらなくないだろうか。あなたが見ているその学校という商品、買うに値するだろうか。

 大学院なんか金がある人の遊び、そう思った方が良いかもしれない。そこをでた場合に仕事がよほどあるという場合は別にして、それでも金を払って収入を得る時間を失うということはある。

 学校にだますつもりがあるかないかはおいておいても、素晴らしいものと思って勝手にだまされないようにするべきであろう。学校従業員はこの商品買ったら不幸になるだろうと分かっていて学校という商品を売っているかもしれないし、気付かず素晴らしいものと思い込んで売っているかもしれない。自分の身は自分で守ろう。

学校はすごい所という幻想

学校ってそんなにすごい所であろうか。個性を伸ばす所か強制する所か、そういう議論もありうるであろう。しかし、その観点からの議論をおいておいても、教えている内容がその指導でできるようになっているのかという問題があるであろう。

 学校は卒業資格や単位を与える。そして、それが社会で何かする時に必要になる場合があるであろう。資格取得の際にあるコースの学校を卒業していることが必要になったり、学校の卒業資格か単位(正確に何かは自分で確認してください)があれば資格取得が楽になる場合があるであろう。内申点が進学に使われる場合もあるであろう。就職にだって学校がする評価が関係する場合があるかもしれない。

 こうやって、本当に参加する価値があるわけではないと仮に思ったとしても、システム上学校が権威を持つようになっているわけである。たとえ、学校の提供するものが価値がないと判断されても、社会システムから学校が権威を持つわけである。

 そして、学校も含めて、権力者・支配者が描く社会ができることになるであろう。学校は社会の支配システムの一つにすぎない。

 学校にしろ、その他にしろ、すごいと思っているからそう思うだけで、そう思わない人はそう思わない。学校はすごいという評価は幻想である。

裁判所の判決が全てではない

裁判所の判決が全てではない。確かに刑事裁判で判決が確定すれば、その判決に従って物事が行われるであろう。しかし、例えば、裁判所が無実だということにたどりつけず有罪にしている可能性もある。また、刑事裁判や民事訴訟でどのような判決になろうが、ある人がその裁判で取り扱っていた内容について何が真実であると心の中で思うかは、判決の通り心の中で思うとは限らないであろう。裁判で損害賠償請求に対してある会社側が勝ったからといって、その会社は悪いと思うから買わないという人もいるかもしれないし、判決がどうであれある人がその会社の商品を買うか買わないかは自由である場合には基本的に自由であろう。

 裁判所といっても、支配者側・権力者側のものであろう。裁判所の判決には力があるであろう。そして、裁判所の判決が社会における有力なものの一つになるであろう。

 歴史だって学校が教えるものは支配者側・権力者側のものかもしれない。

 しかし、裁判所の判決にしろ歴史にしろ、支配者側・権力者側のものが社会で影響力を持ちうるわけであろう。

 ただ、裁判所の判決が全てではないという部分があるであろう。歴史だって学校が教えるものとは別の歴史を述べることができうるであろう。

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