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日本世界研究ブログ (今世紀をダッシュ)

様々な内容。医療、ニュースに関連して、歴史、芸術、自然災害、経済など。  このサイトはリンクフリーです。 ブログ名を「ダッシュ ー世界を分析するー」から変更しました。

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安倍政権は日本をメチャクチャにしようとしているとしか思えない

安倍政権は日本をメチャクチャにしようとしているとしか思えない。仮にこれがGOODと思ってやってもうまくいかなければ修正するはず。貧困世帯には税金から金を配ればすむ話。ホームレスの人にも税金から金を配ればすむ話。その配った金は使われ経済が活性化するはず。そしてそこからその人達に、創造的活動に向かってもらえば日本が活性化するはず。わざと安倍政権は日本をメチャクチャにしようとしているとしか考えられない。
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学校などで自分が上昇するのを邪魔する人

学校などで、自分が何かを目指しているとか勉強でもスポーツでも芸術でも何でも構わないから上手でさらに実力を向上させようとしていると、その内容自体に否定的なことを言ったりして、頑張らないように仕向けるコメントをしてくる人がいるかもしれない。あるいは、自分と競争になっていて、自分に努力や練習をする気をなくさせたり努力や練習をしないように仕向けるコメントをしてくる人がいるかもしれない。そういう人は、自分のよほど勝つ自信がなかったり、自分に自信のあることがなかったり、自分の生き方に自信がないのかもしれない。

 こういう人は、自分の邪魔をしてくるわけで敵だ。こういう人やそれからいじめ・嫌がらせをしてくる人、そういう人は敵だ。なるべく関わるべきではないだろう。自分の邪魔をするのだから、なるべく関わらない方が良いだろう。

誰がとても大切な人か

自分にとってとても大切な人、とても大切な人ととてもをつけておく、そういう人は、自分でよく考えるべきだろう。

 単に学校とか就職したところで会った人が自動的にとても大切な人になるなんてことはないだろう。嫌がらせをしてくる人は論外として、普通に接しているそんなレベルや、単に同じ学校のクラスや仕事で同じチームになったとかでなく、たまたま教員が割り当てられたとか教員を選択したのでもどんな人か実際始まってみないと分からないだろうしそんなレベルやたまたま割り当てられた仕事の上司のようなレベルの話ではない。

 仲が悪くなくても、とても大切な人ととてもをつけてというレベルになると、そういう人が誰かということになる。単に付き合いでという人ではないだろう。とても大切な人、これはよく考えるべきだろう。

自分の価値観を持たなければ他人の思考・価値観に支配される

人は生まれてから周囲の人の影響を受けその価値観・考え方を身につける。

 例えば、世界には様々な楽器があるだろう。しかし、日本で学校教育で扱われる楽器は全てを平等ではなく偏っているであろう。これだって、音楽の世界をある種のものに影響させるだろう。仮に楽器演奏は悪魔を引き寄せると信じている民族がいたとしたら、その民族では楽器演奏はなされないかもしれない。すると、他の民族では楽器演奏がすばらしく、コンクールがあり賞が与えられたり職業として成り立っていても、全く音楽に価値があるとは考えられず、不吉なものとみなされる民族もあるかもしれないことになる。

 このように、自分が正しい、優れていると思っているものは、生まれてから周囲の影響を受けて身につけたもので、何が本当の意味で正しい基準なのかということは難しい。
 自分ではよく分からないけれども、ある分野で何とか賞が与えられたから優れていると思ったり、何かの役職についているからよく分からないけれども優れた人と思ったり、よく分からないけれど権威があるとされていてだから優れているとみなしている場合もあるのではなかろうか。

 今持っている自分の価値観・思考を問い直し、見つめ、そして価値観・思考の再構築をしなければ、誰かが作った求められる価値観・思考に飲み込まれ、コントロールされた存在になってしまうかもしれない。

 また、異文化民族・集団が共存する社会では、互いに反したり大きく異なる価値観・習慣が生じる可能性があるだろうことも付け加えておく。

お金の監視と自由消滅

お金の使い方の監視が起こると、自由が奪われ生きづらい社会になってしまうであろう。自分が何にいくら使っているかお金を監視されると、不自由になるであろう。別に悪いことをしているわけではないというのであっても、どこで何をいつ買っていくら使ったか把握されると、生きづらい世の中であろう。

 すでに、銀行口座からの支払いとか、その他、把握されるような支払いをしている場合があるだろう。しかし、それが全てになってしまうと、紙幣も硬貨もなくなって、コンピュータ上のものだけになってしまうと、全くコンピュータ上の支払い以外の選択ができなくなると、とても嫌な社会になるであろう。

 しかし、紙幣や硬貨を廃止して全てをコンピュータの数字のみにしてしまうことは可能なのではなかろうか。コンピュータ上の数字のみのお金しか使えないような社会にならないようにしていくべきであろう。そして、今ある紙幣や硬貨による受け取り支払いの監視されていない自由というものを、この部分に関しては自分は使いたいと思う部分を大切に使っていくべきであろう。

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