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日本世界研究ブログ (今世紀をダッシュ)

様々な内容。医療、ニュースに関連して、歴史、芸術、自然災害、経済など。  このサイトはリンクフリーです。 ブログ名を「ダッシュ ー世界を分析するー」から変更しました。

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医療批判

医療に関してこれはやらない方が良いのではないかという意見を述べる人がいるであろう。

 みんなが各自にとって良いような選択ができると良いというのはそうである。

 しかし、医療に関して様々な意見を聞いている人は、この医療は良い、悪いという意見があった時、自分が気に入らない意見を述べている人がいたとしても、他人のことに関しては、結局他人である人のそれぞれがどうするかの問題で、ある医療を受けて良い結果になれ受けない方が良かったとなったのであれ、医療を受けなくて良い結果になれ受けた方が良かったとなったのであれ、直接自分の健康の問題ではない。他人がその人の健康をどうするかの問題を、自分がどうこうできるのかという問題がある。

 だったら、医療に関して自分の気に入らない意見を言っている人がいても、この医療は良い、悪いのどちらであれ、ほっとけばよいのではなかろうか。

 自分の健康も他人の健康も、本人が結局どうするかの問題である。

 何かテーマで集会をしている人がいる時のように、その方向性に賛成の人も反対の人もいうるわけである。自分はただ聞いているだけの人のつもりなら、自分の健康も他人の健康も、本人がどうするかということになるしかなく、気に入らない意見で講演している人に腹を立ててもどうにもならないことではなかろうか。
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東大生5人を強制わいせつで逮捕

東大生5人が強制わいせつで逮捕されたようだ。実際のところ何があったかあるいはなかったかは分からない。

 ここで、勉強ができてもこれではだめだ、という意見の人もいるかもしれない。では、4つのパターンを考えよう。
勉強ができて強制わいせつをしない人、
勉強ができて強制わいせつをする人、
勉強ができなくて強制わいせつをしない人、
勉強ができなくて強制わいせつをする人、
以上4パターン。

さて、
勉強ができてもできなくても、強制わいせつをする人は問題である、
強制わいせつをしようがしまいが、勉強ができることは一つの特技である、
勉強ができても強制わいせつをする人が問題なら、では勉強ができなくて強制わいせつをする人は問題ではないのかという疑問がある、「勉強ができても」という点を強調するのは勉強ができる人への単なる嫌がらせではないかという疑問がある、
一般論で勉強ができるのが悪いのなら、勉強ができるの意味を高校から大学へ進学の際の大学入試ができたという意味とするなら(東大生5人逮捕の5人がどんな形で入学したか知りません)、高校の勉強なんてしなくて良いことになり、高校の受験教科の授業は全て取りやめるべきということになるかもしれない、もっと言えば、高校を廃止すべきということになるかもしれない、
このような考察ができる。

 さて、勉強ができてもというのをスポーツや芸術に置き換えることもできるであろう。


 別の観点から。
 東京大学はどうするのだろうか。退学処分にするのだろうか。
 一般論で、大学なんてただのビジネスかもしれない。大学も、その従業員も、学生がどうなろうが、奨学金という教育ローン借り、将来仮に借金苦で自殺しても知ったことではないのかもしれない。やめずに借金してでも客になってくれ、社会問題を起こした学生は退学処分にして大学はきちんとしていると取り繕う、自らの社会問題を起こさないように教育するという指導力のなさは大きくは問題にならずにすむかもしれない、そのくせその学校外のことまで話題で介入する無責任評論家教員、学生は客として丁寧に扱われず教員の自己満足の道具で金を払わせて契約が切れたら後(卒業またはやめた後)は知らない都合が悪いと処分し退学処分もある、ということかもしれない。

 なので東京大学が本件に対してどんな対応をとっても、大学のために従業員のために対応しているだけで、実際に強制わいせつがあろうがなかろうが、加害者にも被害者にもどちらのためにも対応しているとは思わないし、加害者や被害者のために活動しているように見えても、我々大学は大学従業員は良い所だ良い人だという宣伝と思っておきます。
 東京大学や東京大学従業員(経営者も含む)が実際今書いたようなものではないのかもしれないしあたっているのかもしれない。それは分からない。しかし、大学や大学従業員というものがそういうものだと思える世の中だということである。
 

名前に気をつけよう

名前からすばらしいくないことでもすばらしいと思うよう誘導されたり、ある内容を意識させないように誘導されないように注意したいものだ。

 グリーン車、指定席、自由席ーこれって一等車、二等車、三等車、の言い換えつまり金がない者は悪い席へ、金がある者は良い席へと言い換えでなかろうか。

 奨学金ーこれはもう、返済が必要な場合は教育ローンとはっきり言うべきだし、返済不要の場合はプレゼントとはっきりというべきであろう。

 病院ー何か良いイメージを持っている人もいるかもしれないが、医療が原因で問題が起きたりしていて、殺人工場かもしれない。

 大学ー奨学金という教育ローンで人生を破壊する原因かもしれない。

 何とか賞ー陸上100mとか水泳100mとかフライングかどうかの判断は置いといて、こういう明確な数値ででてくるものでなかったら、各自の感性を否定し、思考の統制道具かもしれない。


 名前にごまかされず、実態をよく考えるべきであろう。

ある地域の統治(支配)

ある地域、これは国でも都道府県でも構わないが、これを統治(支配)するには、ある特定の内容を当たり前だとそこの人の大多数に思わせてしまうとよい。あるいは、重要でないことにみんなの関心を向けさせ、本当に重要なことから目をそらさせてしまうとよい。こうすれば、その地域を統治(支配)しやすい。日本はこのようにして統治(支配)されているのではなかろうか。

 学校とかマスコミなどを使って与える情報を選択し、思考を誘導してしまえばよい。思考や行動を誘導すればもう支配者の思い通りになる。大多数が思い通りの思考や行動をすれば、それでうまく支配することができるのだ。日本はこのようにして統治されているのであろう。

野球

野球はやるとしても高校で部活動としてやるだけで、プロ野球はするつもりでないという人もいるのではなかろうか。野球に関して投手が変化球を投げるのが体に良いことかという疑問もあるかもしれない。

 プロ野球に関連して、違法薬物とか野球賭博とか問題が生じている。高校野球で部活動としてはやってもプロ野球には興味がないという人がいても、それはそれで構わないのではなかろうか。甲子園で高校野球をやっているといっても、それは高校の部活動の話である。プロ野球の悲惨な状況を見て、こんな所で活動するのは興味ないという人がいても構わないのではなかろうか。他のことをしてそこで同じように変な方向に進んではならないのであるが。また、そもそもなぜ野球という一部活動を大きくとりあげる必要があるのかという疑問がある。

 オリンピックも含め、プロスポーツには興味がなく、自分たちが楽しめればそれで構わないという人がいても構わないのではなかろうか。

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