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日本世界研究ブログ (今世紀をダッシュ)

様々な内容。医療、ニュースに関連して、歴史、芸術、自然災害、経済など。  このサイトはリンクフリーです。 ブログ名を「ダッシュ ー世界を分析するー」から変更しました。

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モンスターペアレント、モンスターペイシェント

モンスターペアレント、モンスターペイシェントという言葉がある。

 まず、何がモンスターなのかモンスターでないのかということは、時代や場所によって異なるかもしれない。異文化に行けば、発想が全然違うこともあるかもしれない。その時代に良いとされていたことが後の時代で間違いとなったり、良いとされていることを信じて実行して大変なことになることもあるかもしれない。

 仮に、ある人をモンスターペアレント、モンスターペイシェントとしよう。そうはいってもその人にだって言い分はあるかもしれない。しかし、ここではそれはおいておいて、では、学校や病院サイドの人間に問題のある人はいないのであろうか。実は、親や患者をモンスターペアレント、モンスターペイシェントというのであれば、学校や病院サイドにも、モンスター従業員といえる人がいるのではなかろうか。

 モンスターと仮にいうならば、他の業界だってありうるのではなかろうか。例えば鉄道、乗客にも従業員にもモンスターと仮にいうならそうなる人がいるのではなかろうか。

 一人の人がいろいろな立場で登場してくる。仕事をする人、客のように。モンスターと仮にいうならそうなる人はどんな場面ででもモンスターなのだろうか。場面によって違うのだろうか。では、ある場面でモンスターでない人はどうであろうか。ある人のことをモンスターと言っている人が、モンスターと呼ばれていることはあるなしのどちらであろうか。
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仕事の能力とは何か

能力がある人とかいうけれど、運とか人間関係がとかで、能力があるということになっている場合があるのではなかろうか。実際問題そのポストに就いたらうまくいくかどうかなんてやってみないと分からないし、仕事内容だってやっていることが違えばどっちが上かなんてどうやって判断するのかという問題があるし、売り上げといっても配置されたところがたまたまよく売れる条件にその時なったのかもしれない。

 あの人は能力があるのでそのポストについたと言っても、よく考えたらどう評価するのか難しいことを人間関係でよく見えてそうなっていたり運があったりして、能力があるからそのポストについたなんてこと単純には言えないこともあるのではなかろうか。

国民生活

今の日本、必要なものはたくさんある。食べ物、捨てているだろう。家、住む人がいなくて余っているところがあるであろう。服、シーズンの終わりに売りつくしセールをしている。

 お金で見るのではなく、物自体やサービス自体があるかどうかで考えてみよう。そうすると、必要以上のものやサービスが存在する。さらに、広告ってこんなにたくさん必要かという問題もあるであろう。ジャガイモを作ったらそれを食べる人がいても、広告ってそれ自体が必要なのではなく、広告の先の商品やサービスがあって初めて役に立つものである。いらないものを売りにくるセールスとか、必要ないだろう。

 ということは、必要以上に物やサービスがあり、不要な仕事をしているということになる。

 お金っていうけれだ、経済的に苦しいというけれど、物やサービスは必要以上に日本社会に存在し、不要な仕事をしている。要するに、物やサービスを買うのに使う金の分配が行き届いていない人がいるということである。畑にとれた農作物を捨てている農家、捨てている農作物をちょっとぐらい分けてくれるかもしれない、そういうレベルの物やサービスが存在する社会ではなかろうか。

 経済的に苦しいこういう社会にする政治家を選んだのは国民である。

愛国と売国ー右派と左派の違いを超えてー

右派か左派ということと愛国か売国ということは関係ない。右派でも愛国も売国もありうるし、左派でも同様である。

 保守、伝統を大切にというのを右派とし、革新を左派とする。
 これでいくと、今の日本ではアメリカと中国などの東アジアとの関係でいくと、現在アメリカとの関係が強く、保守がアメリカとの関係重視、左派が中国などの東アジアとの関係重視となるだろう。
 しかし、江戸時代の末期でいくと、日本は鎖国していたということが言えるであろう。
 遣唐使の時代だと、日本は東アジアとの関係がアメリカよりも強いであろう。
 また、食だと現在、日本食重視が右派で外国食取り入れが左派なのだろうか。それとも外国食が既に入っていて関係ないのであろうか。では音楽だったらどうなのだろうか。

 例えばアメリカ重視か東アジア重視かという問題でも、日本を大切にしながら日本の良い点を重視しながらも、アメリカまたは東アジアとより深く関わるあるいは内向きに閉じた有り様でいくということはあるであろう。これだとアメリカ重視(仮に右派)も東アジア重視(仮に左派)も内向きに閉じるのも愛国になる。しかし、アメリカの言いなりとか東アジア諸外国の言いなりでは、アメリカ重視(仮に右派)も東アジア重視(仮に左派)も売国になる。アメリカ重視(仮に右派)も東アジア重視(仮に左派)も愛国にも売国にもなることができる。右派か左派かではなく、どういう右派か左派かを見ていく必要があるであろう。

 では、国の利益なりプライドなり何かを失うようなことをするのは必ず売国かという問題がある。歴史を見れば分かるように、力関係から何かを失うようなこと、どこかの政権の管理下に入るようなことというのは、あるであろう。そうしないとより被害を受けるかもしれずやむおえずということはあるであろう。だから、話し合いなり交渉なり宣言なりそのような形で国に不利なことをしても、もっと大きな被害を避けるためにやむおえないこともあり、必ずしも売国と言えるのかという問題はあるであろう。

オリンピックなんかいらない

オリンピックなんかいらない。強化対策とかをして、一部の人が人生の一部の時期だけものすごくそのスポーツをよくできるようにしているだけであり、本当に必要なことは、誰でも安くて安全に楽しめるようなスポーツ施設を作ることである。

 オリンピック選手がどうなろうが自分にはメリットはないであろう。オリンピックは無視してしまえばよいであろう。どうしても仕事上知っておく必要があることとか、自分のやっているスポーツの見本を見たいとか、例外を除いて無視してしまえばよいであろう。

 スポーツなんかいろんなものを結構社会的に向こうから話題になるようにしてやってきたりするであろう。いちいち見ていたらきりがないであろう。

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