右派か左派ということと愛国か売国ということは関係ない。右派でも愛国も売国もありうるし、左派でも同様である。
保守、伝統を大切にというのを右派とし、革新を左派とする。
これでいくと、今の日本ではアメリカと中国などの東アジアとの関係でいくと、現在アメリカとの関係が強く、保守がアメリカとの関係重視、左派が中国などの東アジアとの関係重視となるだろう。
しかし、江戸時代の末期でいくと、日本は鎖国していたということが言えるであろう。
遣唐使の時代だと、日本は東アジアとの関係がアメリカよりも強いであろう。
また、食だと現在、日本食重視が右派で外国食取り入れが左派なのだろうか。それとも外国食が既に入っていて関係ないのであろうか。では音楽だったらどうなのだろうか。
例えばアメリカ重視か東アジア重視かという問題でも、日本を大切にしながら日本の良い点を重視しながらも、アメリカまたは東アジアとより深く関わるあるいは内向きに閉じた有り様でいくということはあるであろう。これだとアメリカ重視(仮に右派)も東アジア重視(仮に左派)も内向きに閉じるのも愛国になる。しかし、アメリカの言いなりとか東アジア諸外国の言いなりでは、アメリカ重視(仮に右派)も東アジア重視(仮に左派)も売国になる。アメリカ重視(仮に右派)も東アジア重視(仮に左派)も愛国にも売国にもなることができる。右派か左派かではなく、どういう右派か左派かを見ていく必要があるであろう。
では、国の利益なりプライドなり何かを失うようなことをするのは必ず売国かという問題がある。歴史を見れば分かるように、力関係から何かを失うようなこと、どこかの政権の管理下に入るようなことというのは、あるであろう。そうしないとより被害を受けるかもしれずやむおえずということはあるであろう。だから、話し合いなり交渉なり宣言なりそのような形で国に不利なことをしても、もっと大きな被害を避けるためにやむおえないこともあり、必ずしも売国と言えるのかという問題はあるであろう。
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